とある日の近畿車輌構内
前回記事で書いた通り、また鉄道ネタやります。
先日所用で学研都市線(片町線)に乗った際に、徳庵にある近畿車輛の工場内を車窓から眺める機会がありました。
そんなわけで、とある日の工場内をちょっと覗いてみましょう。
以下は3月下旬の吉日撮影。
徳庵駅を通過し、近車工場そばに差し掛かって、最初に目に入ってきたのは・・・
何と、東京メトロの13000系。
東メト13000系といえば、日比谷線の最新鋭車両で、車内に高音質ステレオシステムを搭載しているハイスペック車両。
既にデビューしている日比谷線では、その高音質を活かした車内BGMの試行放送が始まっているそうです。
車両は関西で造られているんですね。
ただでさえ東京の車両が関西で見られるだけでも凄いのに、こんな特徴的な車両が見られるなんて、車両工場覗きならではの醍醐味です。
編成として繋がれておらず、先頭に保護シートもされていなかったため、甲種輸送はまだ先かなという感じでしたが、いずれ近い内に甲種も見られるでしょうね。
近車工場内では他にも、阪堺電車のモ171が保存されているという話を聞いていたのですが、肉眼では分からず。
車窓を撮影したものを後からよく見返してみると・・・
先ほどの東メト13000の間に、ちらっと写っていました。
そりゃごく一瞬しか顔覗かせてないし、乗ってる電車は高速で通過してるしで、どおりで分からなかったはずだ…笑
その後も工場内には、しばらく東メト13000が留め置かれている光景が続きます。
それからしばらくすると、次に見えてきたのは・・・
この車両は何だ!?
最初パッと見た後しばらく、その第一印象から、JR東日本のトランスイート四季島かな?とも思いましたが、
でも増結の話なんて聞いたことないし、よく見ると車両の造りや雰囲気も何となく違うし……
そもそも車両のフォルムや連結部、ドア等の造り自体が日本の車両とはどことなく異なっている気もするので、ひょっとしたら海外向きの車両かな?とも思ったりします。
空港内連絡鉄道とか、都市鉄道とか、あるいはアミューズメントパークの園内鉄道とか……??
本当の所は詳しく調べていないのでよく分かりませんが、日常では見られないような車両が見られることもある車両工場。
こんな「謎の車両」まで見られたのは、良い収穫だったと思います。笑
【18/10/20追記】
最近とある鉄道サイトを見ていて分かったのですが、この車両、どうやらドーハメトロ(カタール)の車両らしいです。
上のリンクから画像を見ても分かる通り、確かに車両各所の形や特徴が一致しています。
遥か遠く中東アラブ圏の鉄道車両までもが、日本の関西から生み出されていたなんて、ユニークですね。
車両の正体は分かりましたが、それでもなお、遥々カタールまで運ばれる予定の車両が、日本の関西に居て、関西で見られて、日本の鉄道車両や風景と並んでいる……というのは、今しか見られない貴重な光景でもあり、非常に面白い様子であることに変わりはありません。
そんな日本から遠く離れた国の車両が、ここ関西で造られ、遥か先の異国の地まで送られていく・・・というのは、もはやロマンすら感じさせてくれます。
【追記終わり】
後は、その「謎の車両」の隣に見えたものは・・・
またも東メト13000系。笑
そんな感じで、大半が東メト13000で占められ、他の車両もぽちぽち見られた、近畿車輛ウォッチングでした。
鉄道テーマの記事はひとまず今回まで。次回からまたいつもの感じに戻そうと思います。
【追記あり】いよいよ撤去に目処か? 菊水山駅が遂に廃止に!
このブログでは滅多に呟かない(というか初めての?)鉄道の話題。
先日、関西の鉄道界に「遂にこの時が来たか!」と思わせるニュースが飛び込んで来ました。
2005年の休止から13年。
神戸のかつての秘境駅に、とうとう廃駅の時が訪れることが、神戸電鉄から公式に発表されたのです。
【リンク】神戸電鉄・公式ニュースリリース「菊水山駅の廃止について」
神鉄の廃駅といえば、新有馬駅が1975年の休止から2013年の廃止・撤去まで、実に38年も休止状態にあったことはまた有名な話ですが、
今回の菊水山駅は、休止期間は13年。営業休止から廃止までの時間が新有馬駅に比べて短く、意外であると同時に少々拍子抜けな感じもしてしまいます。
聞くところによれば、神鉄がこれまで菊水山駅を廃止にせず休止のままとしていたのは、神鉄にとって撤去費用の捻出が容易では無かったからだとか。
それが今回、廃止に踏み切ることとしたのは、撤去予算にとうとう目処が付いたからなのでしょうか……
(ただ、確か とある新聞によると、神鉄の話として、残されたホームの存廃は今後検討する、と読んだように思います)
駅の開設の方はというと1940年と古く、開業から廃止まで実に78年の歴史。
なぜ乗降客も周りに人家も無い所に駅を設け、21世紀の現代まで存続してきたのか?
特に、駅開設の理由については一般的には良く分からないとされることが多いようですが、そんな関西きっての秘境駅にも、遂に今日限りで終止符が打たれたのでした。
現役当時の菊水山駅。下の写真と休止前後の様子を見比べてみるのも興味深い。
(Wikipedia『菊水山駅』より引用:By もんじゃ - 投稿者撮影, パブリック・ドメイン, Link)
休止後の2017年6月撮影。上の現役時の写真と比べてみると、ベンチや外灯、奥のホーム端の出発確認モニター等が撤去され、奥のホーム柵がすっかり錆び付き、右上端に信号装置が設置されるなどの変化が確認出来ます。
現役時の駅入口。左の構内踏切や中央の「用途不明」のプレハブ等の存在が確認出来ます。
(Wikipedia『菊水山駅』より引用:CC 表示 3.0, Link)
休止中の2017年6月の写真を見ると、上の写真の構内踏切一式や例のプレハブは撤去され、両側の旧踏切出入口にはロープが架けられていました。ただ、ホーム上屋は残されています。
次回書く記事もまた鉄道の話題にしようと思います。たぶん。
【以下5/28追記】
駅の正式廃止から2ヶ月が経ち、あれから駅跡はどうなっているのか、先日少し見に行ってきたので簡潔にリポートしておきます。
なお、暗い時間帯に撮影した動画から画像をキャプチャしているので、画質が少々悪い点はご了承下さい。
以下5月下旬撮影。
鈴蘭台寄りのホーム跡の様子には特段変化は無く、右側赤丸部分のホーム上屋も特に手を付けられることなくそのままになっています。
しかし鵯越寄りでは変化が。やはりホーム端部の撤去作業が一部で始まっており、この画像の左ではホームが簡易的な白い板らしきものに置き換わっているのが確認できます。
鵯越寄りの更に端の方では、ホームが骨組みだけの状態になっている箇所もあり、左では鉄骨組みが、右では細い骨組みが露わになっています。
予想通りホームの撤去作業が始まった菊水山駅。
今後もしばらくは状況の変化が続きそうなので、時々見に行ってはこの記事に加筆するなどして報告していきたいと思います。